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日本工芸会・正会員 高知県展・無鑑査(株)陽和工房 房主 西邨滋さん(61歳)

「生活に役立つもの、日常的に使えるもの、手づくりの、
心が癒されるものをつくる」

 文政12年(1829)から続く安芸内原野焼。200年に満たないその歴史の中で、瓶、擂り鉢、片口、とっくりなどの日用雑器などが細々と作られ、昭和の初め頃までは、日用雑器や植木鉢、手洗い鉢などが焼かれていた。第二次世界大戦後、急速に衰退。安芸市出身の京都市立美術大学(現、京都市立芸術大学)の学長だった長崎太郎氏と故吉村雄治氏との尽力で復興した。復興を支えたのは、同大学の卒業生達。陽和工房房主、西邨滋氏もその中の一人だ。氏は県内外で積極的に個展を開き、内原野焼を広く伝え、工房の設立から26年間で数多くの賞を受賞。陶器だけでなく、陶壁画や陶板、ストリートファニチャー、モニュメントなどの制作も精力的にこなし、昨年、現代の名工を受賞した。


内原野焼との出会い
 「京都市立美術大学工芸科陶磁器専攻科を卒業後、学生時代からアルバイトに行っていた徳島・鳴門市の大谷で1年を過ごしました。お金もなくて、三食食えて焼き物が焼ければ幸せだったんです。大谷の耐酸陶器についても学びたかったし。そのあいだの1年で、内原野焼を知り、長崎太郎先生とも知り合うことになりました。
 長崎先生は、母校の京都市立美術大学の戦後初代の学長となった安芸出身の傑人で、私が卒業した当時は、安芸の町で詩を書いたり、絵を集めたりと、悠々自適の生活をされており、窯の復興にも力を注がれていました。そこで先生にお願いして内原野の窯へ入れてもらったんです。」


当時の内原野焼はどんなものだったのですか?
 「焼き方も素朴で、植木鉢・蘭鉢・草鉢・ハンド・水がめなどが中心、特に土佐寒蘭を育てるための蘭鉢をどっさりと作っていました。しかし、県外から型で作る量産品が入ってきたんです。価格も3分の1で、あっという間に内原野焼の蘭鉢は売れなくなってしまった。このままではだめだと思いましたね。」


新しいことをやってやろうと?
 「そう。それに土佐という風土も、ある程度好きなこと、自由なことできるだろうという印象もあったし、実際にそうだった。まあ実際の所、窯元の数も減り衰退していく窯場でしたし、何か新しいことをやらなければ食えない。そういうこともあって、誰に遠慮することもなくやれたわけです。」


やりたかったこととは?
 「僕が教育を受けたのは、皆さん人間国宝となっておられますが、富本憲吉先生、近藤悠三先生、藤本能道先生といった、戦後の日本の焼き物を支えてきた方々。従来の産地ではなく、作家として新しい仕事をしてきた人たちに強い影響を受けてきましたので、その続きをこの地でやりたかったんです。
 花瓶や食器に、創造的な世界を盛り込んでいく。嗜好性が高ければ、気に入った人に買っていただけて、はやり廃りもないだろうと。手づくりの風合いを生かした、今で言う付加価値の高いもの。そういうものを作っていこうと考えました。」


周りの窯の反応は?
 「周りの窯もそんなに閉鎖的ではありませんでした。むしろ非常に良くしてくれましたね。僕は嫌な思いなんかしたことありません。僕らのやっていたことはあの頃でいうと、かなり革新的。みんなも興味を持って見てくれていました。」


では、売れ行きも良かった?
 「興味は持ってくれるんですが、売れない。250円くらいで湯飲みを売っていましたが、スーパーで機械品が30円の時代ですから。食えませんでしたね。 (工房設立から)5年か、6年位した頃に、松下幸之助の何かの本で『作っているところをみせなさい。見せることは、価値を理解してもらう近道になる』というような内容のことを読んだんです。
 そこで、普段は見せない仕事場を開放してツツジ目当ての観光客に焼きものづくりを見てもらったんです。最初は面倒なことでしたが、焼きものづくりへの理解は進みましたね。そんなことを積み重ねて、手づくりの良さや、陶芸のおもしろいところを理解してもらうのに20年はかかったと思います。
 それでも、経営的には10年ほどずっと赤字。故吉村雄治社長が赤字であっても面倒を見続けてくれたおかげなんです。本当に人には恵まれていたのだと思います。」


転機は?
 「量的に売ってくれるのはどこだろうと考え、みやげもの屋に置いてもらえる商品開発をしました。おろし皿や、べく盃のそらきゅうといったストーリー性のある土佐らしい商品を作って、みやげもの屋に持っていきました。それがすこしずつ売れるようになって、やっと軌道に乗りました。」


陶壁画や陶板の制作も数多く手がけられ、「現代の名工」の受賞にもつながりましたね。
 「軌道に乗ったのはいいのですが、みんなのんきで『なんとかなるやろう』と人が増え、気が付けば大所帯(笑)。
 陶壁画や陶板のような建築ものは、他の人もやっていないし、数多くの工房員が仕事にありつけます。食器など生活雑器を作る一方で、大きな建築ものを創るというのは、みんなの生活を守っていくための手段でもありました。
 『現在の名工』の受賞については、それで人生が変わるわけでも、値段が変わるわけでもないと思っていましたが、意外に一般的な評価は高く、多くの人たちに喜んでいただきました。工房にも(内原野)陶芸館にもプラスになったと思っています。」


工房の考えるものづくりとは?
 「地域に密着したものづくりを心がけてきました。それは間違っていなかった。バブル後にだめになったところは、お店ばかり見てお客さんの顔なんか見ていない。お店を通して、お店を知っていただけなんです。
 僕らは、お客さんが今何を求めているか、今何が大事かということを毎日びりびり感じてやってきた。値段もできるだけ安く多くの人に使ってもらいたいという気持ちが一番でした。
 僕は芸術とは何かよくわかりません。陶芸の世界で『美しさ』とか『芸術性』は追いかけるものではなく、日常的な営みの中で結果としてついてくるものであれば良いと思っています。何を作るにしても、どんな風に作るか、とにかく『いいもの』を作ろうと考えるだけ。地域に密着して、生活に役立つものづくりをして、そこにちょっとでも芸術性の高いものがあればお客さんもきっと喜んでくれるはず。それは今後も変わりません。」

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