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株式会社 西岡寅太郎商店 常務取締役 大木 雅夫さん(45歳)

見合いをするつもりで高知に来たら、
「酒屋にならないか」って言われたんです(笑)。

 大手商社マンから高知の酒類問屋への転職。にわかには信じられない話だが、平成4年、30歳の時にIターンを決意し、いの町の西岡寅太郎商店へと転職した大木雅夫氏。その後、規制緩和と業界の古い体質に腐心しながらも、ワインの直輸入など新たな取り組みを実現し、1891年から続く老舗企業を支えてきた。
 2006年10月には、経営再建中の大旺建設からひろめカンパニー(ひろめ市場運営企業)の買収に踏み切った西岡寅太郎商店。その背景にあるのは、高知県を「ふるさと」のように愛する大木氏の思いだった。


三井物産ではどういったお仕事を?
 発変電プラントの輸出をしていました。担当は中近東アフリカ。今の仕事とは、まったくかけ離れた世界でしたね。


西岡寅太郎商店は、お母様の実家だと聞きました。
 母が西岡寅太郎(2代目)の長女で、その長男が私。高知県は母の里なんですが、私にとっても大事なふるさと。といっても、父も物産マンだった関係で、幼少期をイギリスとベルギーで過ごしていますので、あまり来たことはなかったのですが…。


それにしても、高知の、しかも酒屋に転職というのはちょっと思い切った決断でしたね。
 思い切ったというか、考えたら普通しないでしょ(笑)。
 ちょうどサウジアラビアへの転勤が決まって、これから第一線で管理職の真似事なんか始めてなんていう、まさにこれからというところでしたし。


どんな経緯だったのですか?
 海外勤務の内定が平成3年の9月くらいだったと思います。実は、三井物産の海外勤務というのは妻帯が条件なんですね。私、独身だったもので、6ヵ月やるから婚約までこぎ着けろと上司に言われて、まあ、30歳でしたし、恋愛にこだわる年齢でもなかったので見合いを何度かしていたんです。
 その頃、当時(西岡寅太郎商店の)社長だった叔父から、「高知の女性はいいぞ。見合いをセッティングするから一度来てみろ」と。でも来てみたら、何故か「高知で酒屋にならないか」という話だった(笑)。
 それで、その年の暮れに家族で高知に来て社長の家に滞在したんですが、そこで従業員の方々と話しているうちに、自分でも役に立てるのではという気がしてきたんですね。
 三井物産は、自分がもし辞めたとしても他に優秀な人材がたくさんいます。いわばワン・オブ・ゼムなんです。逆にここは、本当に自分を必要としてくれていると感じました。


お父様は反対されなかった?
 反対しなかったんです。「おまえの人生だからおまえが決めろ」と。その時は父も引退していたんですが、三井物産の常務まで務めた父が反対しないということは、ある意味賛成していることにも思えました。最終的には、それが背中を押すことになりましたね。


社長の期待も大きかったと思いますが。
 叔父は県議でもあり、自分が政治をやっているがゆえに、会社が本来あるべき発展を果たせていないと感じていたようです。業界としては規制緩和が叫ばれている時期でもあり、旧態依然としたことを続けていただけという感覚があったのではないでしょうか。
 時代の変化を捉えながら、会社を改革していくといったことを私に期待していたのでしょう。でも、私が来てからの方が業界は大変になった。規制緩和になってコンビニやスーパーといった組織量販がどんどん増えて、私どもの昔からのお客様である酒販店さんがどんどん疲弊していったんですね。当社も現在進行形で苦労しているところです。


そこで、ワインの輸入を新基軸とされた。
 当社には3名の元物産マンがいまして、私と、副社長をやっている三浦、部長の清水。三浦、清水の二人は物産マン時代にフランスへの語学研修の経験があり、フランスの地理にも詳しく、言葉もできる。そこで新基軸としてワインの輸入をやろうとなったわけです。
 調べてみると、先進国の中でも日本のワインの消費はまだまだ少なく伸びる要素がある。全国にはワインの輸入しているところはたくさんあっても、四国にはないだろうと。そのための人材もいた。
 私一人だったら、やろうとは思わなかったと思います。フランスに地の利があって、人脈もある彼らと、貿易の実務を知る私とがいて、始めることができました。


実際の成果は?
 だめですね。
 思いからすると、という意味ですが…。


原因をどう見られていますか?
 ワインの販売は、広範な専門知識が必要で、ビールや清酒を販売することとはまったく異質な営業方法が求められ、田舎では人材の調達が困難だったという事が主因ですね。
 また、高知県はまだまだビール・清酒・焼酎のシェアが圧倒的に高く、ワインの市場性が小さいということもあると思います。
 しかし、そんな中でも、なんとか8年間続けていることは事実。全然だめということではありません。人材次第では今後もっともっと伸ばしていける事業だと考えています。


ひろめ市場の買収にはどんな思いが?
 飲食店を中心とした約70店舗の皆さんが、私どものお客様になっていただける可能性があるということもあります。
 しかし、いろんな経緯でこうなってしまいましたが、ひろめ市場というのは高知城日曜市とセットになって高知の顔になりつつある場所。絶対になくしてはいけない。だからこそ、当社に白羽の矢が立ったのだろうし、私どもとしても本業との相乗効果だけでなく、ひろめ市場をさらに元気にしていくことで地域に貢献できればと考えています。


新たな戦略がある?
 現在検討中ですが、それがありきで買収したわけではありません。部分的にはアイデアもありますが、市場全体としての新基軸としては特にありません。これまでのいい流れを継承しながら、さらに価値を高めていくというのが、私どもの役目だと思っています。

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