株式会社ケンショー 取締役工場長
松岡 温美さん(58歳)
高知県生まれで、今や全国に多くのファンを持つキングソース。その滋味深い独特の味わいを醸し出す「仕事人」、株式会社ケンショー取締役工場長 松岡温美氏。ちょうど1年前、ソースづくりを極める職人として、全国ネットへのテレビ出演も果たした。こだわりのソース職人に話を聞いた。
入社後すぐに一宮工場へ配属され、当時の工場長は非常に厳しい人でしたが、新しいソースの試作もいろいろやらせてもらったんですね。それで、『余計な調味料は使わずに商品を作ってみろ』と。昭和55年でした。
工場長のお嬢さんが自然食品の店に勤めていて依頼されたんです。その頃は、ソースには食品添加物が入っていて当たり前でした。調味料(アミノ酸など)や着色料、甘味料などを使わずに、どうやってうま味と色を付けるか、これが大きな問題でした。何を使ったらいいのか、何かいいうま味を出すものはないかと、悩みましたね。
たまたま家でみそ汁を作っていたんです。みそ汁は、昆布とだしじゃこでうま味を出しますよね。なめてみたらおいしい。これだ!と。今では当社製品の特徴にもなっていますが、この昆布とだしじゃこで取っただしを使うと自然なうま味がプラスされて、後口もさっぱりするんです。
あとは、色。着色には黒砂糖を使いました。色目は薄いので心配していたのですが、かけたときに食材の自然の色目が残るということで、逆に好評でした。
試作品はできたのですが、当時は販売先が少なかったので売れないと考え、生産については保留になりました。その2年後の昭和57年の秋頃から、焼き肉のたれ、ウスターソース、濃厚ソースが生産されるようになって、自然食品のお店や県外のこだわりのお店への出荷が始まりました。
評判は非常に良く、口コミもあって、今では全国にお客様がいらっしゃいます。県内ではサニーマートさんを始め量販店などで購入することができますが、ほとんどが県外ですね。
ソースづくりでは、常に味見をしながら微妙な味付けを行います。作る人、作る日の気分で味が変わってしまうので、体調管理にも気を遣っているほどです。納得のいく風味を醸すことができるまで、多いもので25種類もの原料をブレンドします。手間のかかる作業ですが、滋味深い独特の味わいを醸すために妥協はできません。
とはいえ、最終的には自分の好みになっています(笑)。会社内で何度も試食を行うわけですが、やっぱり自分の好みになってしまいますね。
ただ、ソースというものは、出来上がってみるまで最終的な味はわかりません。作りたてのソースは、はっきり言っておいしくない。原材料の味がバラバラの状態。それが10日くらいでなじんでくるんですね。熟成する間は神様にも手を合わせたい気分ですよ。
『どっちの料理ショー(日本テレビ)』の一口かつとクリームコロッケでの対決だったのですが、一口かつに合うソースということで、ディレクターがいろんなソースを集めて試食したところ、当社の濃厚ソースが良く合ったということです。昨年2月に取材に来ていただきました。
ものすごかった。インターネットもパニックになって、一時閉鎖。これまでのお客様にもご迷惑をかけてしまい、随分とお叱りも受けました。
当社の場合、契約栽培の野菜を使っていますので、旬の時期に購入して保存しているものしか量がありません。それでも、高知は天災も多いことから、収穫できない年や少ない年のために3年分を確保していたんです。しかし今回はそれを使い切っても足りない野菜が出てしまった。放送は3月だったのですが、玉ねぎの収穫が5月、トマトが6月。収穫待ちになってしまいました。
申年は災害が多いというが、どっちの料理ショーも当社にとっては天災にあったようなもの。収穫前にわかっていれば対応もできるんですが…。次はもっとうまく乗り切れるかもしれませんね。炊く釜も1800から3000本に大きくしましたし。
結局は6対1で勝ちました。非常に嬉しかったですね。放送前に結果を聞いて知っていましたが、誰にも教えず、黙っていました(笑)。
当社は機械的な大量生産ではありませんので、小回りが利くのがいいところでもあります。インターネットやダイレクトメールの返信によるお客様の声を積極的に聞き入れ、商品開発に生かしています。
また、『煮込み用トマトのソース』や『唐揚げの漬け込み用のたれ』など、最近発売した商品もあります。自然にはぐくまれた素材の味を生かすため、調味料(アミノ酸など)や保存料、着色料、甘味料を使わず、県内契約農家さんが丹精込めて作ったお野菜にこだわりながらも、こうした新しい商品開発を常に行って、皆様の食卓に新しい提案をしていきたいですね。
松岡 温美(まつおか あつみ)
昭和21年 高知市生まれ
昭和40年 高知県立高知農業高校卒業
昭和40年 高知県醤油株式会社(現ケンショー)入社
昭和40年 一宮工場へ配属
昭和63年 一宮工場・工場長に就任